「金澤神社」でお参りして金運・商売アップ

金澤神社は、加賀藩にゆかりのある神社で、商売繁盛、金運、交通安全、学業成就などにご利益があると言われています。
金澤神社の敷地内には、金城霊沢、白阿紫稲荷大明神、手水舎の水、神門などのスポットがあります。
金澤神社は、兼六園の随身坂口の向かいにあります。
金澤神社について
金澤神社は、1794年(寛政6年)、加賀藩11代藩主、前田はるながが、藩の学校を作ったときに、学問の神さまである、菅原道真をまつった神社を建てたのがはじまりです。
この学校は、明倫堂(めいりんどう)と言い、下級武士など、およそ200名から300名ほどが、学んでいたそうです。
12代藩主、斉広(なりなが)になってから、この学校は、べつの場所に移転されましたが、金澤神社は、この地にそのまま残りました。
建設されてしばらくは、4月25日と9月25日のみ・女性と子どもしか参拝できなかったのですが、1874年(明治7年)になり、一般人も参拝できるようになりました。
正式に、金澤神社という名前になったのは、一般に解放された2年後、1876年(明治9年)のことです。
兼六園となりの金澤神社には、3つの神さまが祭られています。
- 学問の神さま
- 災難避けの神さま
- 商売繁盛の神さま
- 交通安全の神さま
平安じだいの貴族、菅原道真(すがわらみちざね)で、前田家の先祖です。
金澤神社の本殿に祭られている、白蛇竜神です。
本殿のとなりにある、白阿紫稲荷大明神です。
琴平大神が祭られています。
金澤神社の場所
金澤神社は、兼六園の随身坂口のすぐとなりにある神社で、徒歩1分のところに、石川県立美術館、徒歩2分のところに、石川県立歴史博物館があります。
金澤神社からいちばん近い駐車場は、兼六園上パーキングで、歩いて3分くらいのところにあります。
金城霊沢
そのむかし、金沢があった山科という地に、芋堀藤五郎(いもほりとうごろう)という、とても貧乏だけど、正直で働きものがいたそうです。
藤五郎は、兼六園となりの金澤神社のよこにある、この泉で砂金を粗っていたそうで、そのため、ここは金洗沢(かなあらいさわ)と呼ばれていました。
石川県の金沢という名前の由来は、この「金洗沢」からきているそうです。
ちなみに、この泉は、金城霊沢(きんじょうれいたく)と呼ばれています。
白阿紫稲荷大明神
商売繁盛の神さまである白阿紫稲荷大明神は、本殿のすぐとなりにあります。
写真をみればわかるとおり、ものすごい数の絵馬(えま)がありますね。
商売はんじょうの神さまとして、かなりの人気があるのが、よくわかります。
手水舎の水
これは、お参りするまえに、手を洗う、手水舎(ちょうずや)ですが、神社内にある井戸から汲み上げた、飲める水でもあります。
この井戸の水は、前にでてきた金城霊沢と同じ水源で、カルシウム、鉄分を多くふくんだ水だそうです。
神門
写真にある、左右には、随身さま(ずいしんさま)が祀られていています。
金澤神社のすぐとなりにある、兼六園の随身坂口は、この随身さまが由来となり、名付けられています。
まとめ
- 1794年にたてられた神社
- 11代藩主、はるなががたてた神社
- 兼六園の随身坂口のとなりにある
- 学問、災難避け、商売はんじょう、交通安全の神さま
- 金沢がうまれた地
- 小さいながらも人気のある神社
2018年12月1日、兼六園となりの金澤神社から、金沢21世紀美術館ほうめんまで、歩いたときの動画です。
金澤神社の道路をはさんだ向かい側には、石川県立美術館があり、坂道になっているその道路をくだっていくと、金沢21世紀美術館につきます。
その道路は、並木みちになっていて、のんびりと散歩しながら、ぶらぶらできる感じです。
兼六園にいったら、金澤神社に、そして並木みちぞいにある、石川県立美術館、石川県立歴史博物館にもいってみてくださいね。