兼六園、ヤマトタケル像の巨大な「銅像の台座石」

銅像の台座石

きょうは、兼六園、ヤマトタケル像の巨大な「銅像の台座石」、についてです。

兼六園には、ヤマトタケル像という巨大な銅像があって、その銅像のしたには、「銅像の台座石」とよばれている、大きな石が台座として使われています。

ヤマトタケル像は、高さ5.5メートルという大きな銅像なので、それを下でささえる台座石は、かなり摩耗するのでしょうね。

兼六園にある「銅像の台座石」は、摩耗して交換した大きな石が、飾られているものです。

では、兼六園の「銅像の台座石」についてくわしく見ていきたいと思います。

兼六園、ヤマトタケル像の巨大な「銅像の台座石」

銅像の台座石について

銅像の台座石について
銅像の台座石は、銅でつくられた、ヤマトタケル像(日本武尊銅像)の台座のことです。

台座は、像をささえる台のことで、ヤマトタケル像の台座は、戸室石でつくられています。

看板にも書いてありますが、1991年(平成3年)、ヤマトタケル像を修復をしたときに、銅像の台座石のひびわれがひどく、あたらしいものととりかえられてそうです。

ヤマトタケル像がつくられたのは、1880年(明治13年)のことなので、111年ものあいだ使われていた、ということになりますね。

もちろん、定期的なメンテナンスがされていたとはいえ、かなり頑丈な岩なんだろうと想像しますが、じつは、そうでもなくて、銅像の台座石には、さほど頑丈ではない戸室石が使われています。

この戸室石は、金沢市にある戸室山やそのちかくの医王山でとれるもので、銅像の台座石だけでなく、金沢城の石垣や、兼六園の虹橋、がんこう橋にもつかわれています。

加工がしやすい反面、もろいという特徴があるようで、ヤマトタケル像の銅像の台座石は、もろさを補うために、定期的にメンテナンスされているのでしょうね。

銅像の台座石の拡大写真
このヤマトタケル像のしたにある丸い石が、銅像の台座石ですね。

銅像の台座石がつかわれている、兼六園の虹橋やがんこう橋も、1枚岩で作られていて、この銅像の台座石も1枚岩で作られているのだと思います。

ヤマトタケル像は、地上からの高さが12メートルあるので、台座石がどのくらい大きいのか、感覚的にわかりづらいのですが、この銅像の台座石をみると、ものすごく大きい岩なので、びっくりします。

銅像の台座石の場所
銅像の台座石は、兼六園の地図にも載っていなくて、さほど人通りがないところに、ひっそりと置いてあります。

いちばん近い兼六園のスポットは、松の傷で、時雨亭やラジオ塔などもちかくにあります。

銅像であるヤマトタケル像について

兼六園のヤマトタケル像について
兼六園の「銅像の台座石」は、ヤマトタケル像の台座ということは、すでに書いていますが、かんたんにヤマトタケル像について、せつめいしたいと思います。

ヤマトタケル像は、明治13年(1880年)に、「西南戦争(せいなんせんそう)」で亡くなった、石川県の兵士の慰霊(いれい)のために作られました。

西南戦争は、明治政府と、薩摩藩とのたたかいのことで、西郷たかもりが戦死したたたかいとして有名ですが、このたたかいに、明治政府側の兵士として、石川県出身の人が出兵し、亡くなっています。

ヤマトタケル像をつくるときに、大きな銅像を支えられる台座石をどうするか、何の石でつくるか、など議論があったと思いますが、兼六園、金沢城では、むかしから戸室石をつかっていたこともあって、戸室石の1枚岩で、つくられたのだと思います。

ヤマトタケル像については、こちらのブログにくわしく書いています。
【第7回】兼六園のビッグなスポット「ヤマトタケル像(日本武尊銅像)」

まとめ

まとめ
ここまで、兼六園、ヤマトタケル像の巨大な「銅像の台座石」、について見てきました。

兼六園の銅像の台座石についての、まとめは下記のとおりです。

  • 銅像の台座石は、ヤマトタケル像の台座として使われていた。
  • 1880年から1991年まで111年間台座として使われていた。
  • 摩耗がはげしかったため、新しい台座と取り換えられた。
  • 銅像の台座石は、戸室石でできている。
  • もよりの兼六園スポットは、松の傷、時雨亭。

ヤマトタケル像のしたに、こんな大きな岩が使われていることにびっくりすると思うので、兼六園にいったら、ぜひ、銅像の台座石も見てみてくださいね。

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