
山代温泉の歴史は古く、725(神亀2)年に、奈良時代の僧であった「行基(ぎょうき)」によって、発見されたと言われています。
行基は、霊峰・白山(石川県)への修行に向かう途中で、「一匹の鳥が羽の傷を癒している水たまりを見つけた」のが、山代温泉の歴史のはじまりです。
行基は、この水(湧き出ていた温泉)の効能を発見し、その後、温泉寺を開きました。
1565(永禄8)年には、「明智光秀(あけちみつひで)」が、山代温泉に、10日間滞在し、傷の治療を行いました。
これは、江戸時代に書かれたと言われる、明智秀光を主人公とした「明智軍記(あけちぐんき)」に書かれています。
その後も、明治時代の歌人・与謝野晶子(よさのあきこ)や吉井勇(よしいいさむ)、明治生まれの小説家・泉鏡花(いずみきょうか)、芸術家・北大路魯山人(きたおおじろさんじん)などが、山代温泉を訪れました。
江戸時代の山代温泉では、「総湯」と呼ばれる共同浴場を中心にして、温泉街が作られ、その周りに温泉宿が立ち並んでいました。
当時、温泉は、傷などの治療を目的に使われていたことから、山代温泉に来る旅人は、温泉宿に滞在しながら、温泉に浸かり、傷や疲れを癒していました。
共同浴場である「総湯」を中心とした街並みは、「湯の曲輪(ゆのがわ)」と呼ばれています。
現在、山代温泉には、「総湯」「古総湯」の2種類の共同浴場があります。
江戸時代と同じように、現在も、総湯の周りを、温泉旅館が囲んでおり、山代温泉の長い歴史を感じることができます。
作成日:2019年6月29日